2011年12月5日月曜日

「プリ・トヨ」万城目さんが自著朗読

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アメ村の書店「スタンダードブックストア」(大阪市中央区西心斎橋2、TEL 06-6484-2239)地下1階のカフェで12月16日、作家の万城目学さんを招き、電子書籍の読書会が開かれる。

 

「本の雑誌社」の「WEB本の雑誌」編集部が主催する同イベント。今年11月に東京と名古屋で作家の角田光代さんをゲストに同様のイベントを開きり、好評を博したという。大阪での開催にあたり、大阪を舞台にした映画「プリンセストヨトミ」の原作の著者で、大阪出身の小説家、万城目さんをゲストに迎える。

 

当日は、万城目さん自身が著書「プリンセス・トヨトミ」の一部分を朗読する様子を、参加者が電子書籍リーダーを手に聞く。作品について万城目さんに質問したり、感想を伝えたりする時間も設ける。

 

開催時間は19時~20時。参加無料。ホームページからの事前申し込みが必要。締め切りは12月8日。応募者多数の場合は抽選。

 

https://blue.tricorn.net/webhon/f.x?f=b0cff13e

 

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◇脳が安心する、日本一の大阪城

 


僕の小学校は、大阪城の外堀と道路1本を隔てた所にありました。下校の時間に校舎から校庭に出ると、真正面に大阪城の天守閣が見えました。石垣があって、緑があって、その上にポコンと天守閣。緑の青々としている5月の大阪城が一番好きでした。今見ると、高層ビルに囲まれてしまって意外と小さく見える大阪城ですが、当時はすごく大きく見えたものです。なんだか、僕が年を取るたびに、ちょっとずつ小さくなっている気がします。

大阪城のまさにお膝元でしたから、小学校の校歌の歌詞は初っぱなから「錦城(きんじょう)のいらかは高く」だったし、学校で踊る音頭の歌詞にも「太閤さん」の文字がありました。校舎を建て替えれば豊臣時代の金箔(きんぱく)が残った瓦や城の石垣なんかが出土しました。僕ら子どもたちは、校舎の地下に続く階段の前で、「これ、豊臣秀頼が大阪城から逃げてくるときに使った抜け穴につながってんやで」と、ささやきあってました。

日本で一番の城、と思っていたんです。

 

* * * *

 

19歳で大阪を離れ、大学時代は京都で暮らしました。この頃から、小説も書き始めました。卒業後、繊維会社に入社し、静岡の工場で2年働いたところに、東京への転勤話が出たんです。本社勤務では残業も多く、小説を書く時間が取れないだろう、と仕事を辞め、上京しました。

あの頃は本当に、毎日暗かった。無職ですしね。当時書いた小説も、主人公が無職だったり、どう生きていいかわからない、なんて悩みを垂れ流してたり。あちこちに投稿しては落選し、あきらめて再就職しようと覚悟を決めました。最後のつもりで書いたのが「鴨川ホルモー」です。不思議なもので、思い切って「自分のことを書かない」と決めたら、途端に楽しく書けてしまった。「おかしみ」が出てきた。初めて感じた手ごたえでした。

面白いものを良しとする大阪人の価値観が、僕の中にもあったんですかね。

 

* * * *

 

大阪を離れて10年余り。今もずっと「大阪に帰りたい」と思っています。デビュー当時は、仕事で新大阪駅に着いた途端、ほっとする自分がいました。逆に帰りの新幹線に乗る時は、「ああ胸がつぶれる」と思いました。大阪では、エスカレーターを降りているだけで両手を広げたいほどの自由を感じたりしましたっけ。大阪では、脳が安心するんです。

東京は仕事場。戦いの地。東京暮らしも9年になりますが、まだ「なんや東京はいけすかん」と思います。いや、意識的に思い続けるようにしてます。東京への違和感を保つのが、僕の「おかしみ」の源泉だと思うので。

司馬遼太郎先生は「おかしみというのは人間の批判精神から生まれる」とおっしゃいました。そういえば、大阪の「面白い」は「突っ込み」で成り立っている。「ちゃうやろ」や「なんでやねん」という突っ込みは、まさに批判精神です。大阪人はこれを日常会話で延々とやり続けているんです。だから僕も、常に批判精神を持ち続けたい。いや、大阪に対してはベタぼめで、批判精神を発揮できないんですけど……。

 

私だけのふるさと:万城目学さん
【聞き手、mainichi.jp 小国綾子】

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震災オブジェ「生」の4代目復元へ 宝塚・武庫川

 

阪神・淡路大震災の犠牲者を追悼し、宝塚市の武庫川中州に制作されながら3度にわたり自然消滅した石積みオブジェ「生(せい)」が、また再現されることになった。作者で同市在住の現代美術家大野良平さん(52)陣頭指揮の下、地元大学生や地域住民らが復元する。作業は12月3日から始まり、10日には4代目が完成する予定だ。


2005年1月、大野さんが「街と人の心の再生」の願いを込めて制作したが、1年半後に流出した。同市在住の作家有川浩9 件(ひろ)さんの小説「阪急電車」の冒頭に登場し、その映画化を機に再現されることに。大野さんと市が中心となって、100人以上のボランティアも加わり10年12月、2代目が完成した。


ところが、今年5月、大雨による武庫川の増水で消滅。7月に再度復元され、8月の「宝塚武庫川灯籠流し」ではライトアップされたが、9月上旬に大雨でまたも流出してしまった。


今回、東日本大震災の被災地復興への願いも込め、場所も、大きさ(縦20メートル、横10メートル)も同じ4代目を制作することになった。来年1月16日夜には阪神・淡路の犠牲者を追悼し、懐中電灯でライトアップする。


「流出で形はなくなるが、それが人々の記憶に残り、制作に込められる思いはどんどん強くなっている」と大野さん。今回は新たに参加者のメッセージを書いた石も積むという。


(kobe-np.co.jp 増井哲夫)